やっと生活に慣れてきた。仕事にも。
そのせいか、3月後半ぐらいから吸っていたタバコがようやく止めれそうだ。
タバコを吸うのは、ニコチンがほしいからじゃない。ニコチンがイライラを抑えてくれるとかいうのは、ほとんど嘘だと思う。血管が収縮するからとか、ごくわずかな効果しかない。
じゃあなんでタバコを吸うのか。タバコを吸うのは、リストカットに似ている。リストカットの軽いバージョンが喫煙だ。
リストカットという行為が何かというと、あれは置き換えだと思う。辛いことがあっても、人は心の中で戦わないといけない。心の中に自分を否定するような何者かの声があるなら、それには心の中で打ち勝たなくてはならない。精神的に打ち勝たないと、克服したとは言えない。
でも、精神的に克服するのは、実際とても難しい。だからそれを、単純な肉体的な行為に置き換える。「死ね」と命じる誰かの声を、刃物による自傷に置き換える。血も流れるし、ずっとわかりやすくなる。そしたら今度は、精神的な克服を、自傷を止めることに置き換える。
血はそのうち止まり、傷は癒えていく。なんとなく乗り越えたような気分だ。まやかしではあるけれど。
タバコはこれの軽い感じ。「死にて〜」と思ってタバコに火をつけ、いかにも体に悪そうな煙を吸っては吐き、やめなきゃなあ、なんて常に思い、そうして一本吸い終わるころには「なんとかするかあ」と思える。先に何か希望が見えたわけでもないけれど、生きるかぁと思える。
タバコがリスカの軽い感じといっても、僕の場合は喫煙が本当にシャレにならないので、かなりリスカに近いと思うけど。
今は生活にも仕事にも慣れてきて、もうあんまり辛くない。平穏が戻ってきたので、タバコに中毒性があるとの暗示にはかかってない僕は、あっさりと止められます。



あんまり関係ないけど、バタリアンリターンズは自傷行為というものを描いた優れた映画だと・・・思う。