先週の日曜日の話なのだけど、仕事つながりで宿毛に草刈りのボランティアに行った。
「8時からやるから」という地元代表みたいなバイク屋のおっさんの言葉はしっかり憶えていたのだけど、目を覚ましたら8時30分だった。大体、土曜日も祖父の四十九日で高知市に戻っていて、さらに仕事関係で情報提供をしてくれた人にお礼に行ったり現地の写真を撮らせてもらったりしていたし、全然休みないんだしちょっとぐらい遅刻したってしょうがねえだろうがと思いながらも、ウワーとなりながら車を走らせ、ついたのは9時。
みんなが草を刈っている姿を見てヤバいと思ったのは、服装。一応帽子は持って行っていたけど、ロンTに短パンという僕のバケーションスタイルは、明らかに周囲から浮いていた。近くのホームセンターに行って、安い作業服ズボンと、ゴーグルを購入して再び現地へ。
正直、刈った草の収集とか、サポート的な仕事しかするつもりはなかったけど、みんな草刈り機を使っているし、余っていたので、人生初の草刈り機体験となった。簡単に操作方法を習って、すぐに実践。怖い。高速回転する刃も怖いが、腰のすぐ近くでエンジンが爆音をたてる。熱い。爆発しないだろうか。
草刈りと言っても、身長以上の草が生えてるし、ところどころ竹やぶになっていて、伐採と言うほうが的確だった。密集した草の重量がダイレクトに草刈り機の先端にかかるので、とてつもなく重労働だ。
結局、休憩をはさみつつ、2時までやった。野焼きをしているのを、消防署に届けは出しているんだろうか、とぼんやり思いながらも、車に乗って帰った。
帰ってからも体の中の熱が抜けず、クーラーをかけながらぼんやりと相撲を見た。山本山の体の斑点はヤバい感じがする。

チェーザレ」が面白いので、チェーザレ・ボルジアについていろいろ書いているというマキャベリの「君主論」を図書館に借りに行った。
君主論」を見つけて、他に何か面白いのないかな、とブラブラしていたら「図説 最悪の仕事の歴史」という本を見つけた。
借りて読んでみたら、とても面白い。古今の様々な最悪の仕事を紹介しているのだけど、18〜19世紀イギリスにあった「隠遁者」という仕事がすごい。貴族たちのあいだで田園風の造園ブームが起こり、舞台装置として庭園をうろつくプロの隠遁者が雇われたらしい。奇人や知的障害者、詩人、貧しい人たちが雇われたが、給料は相当良かったとか。ただし、どんな事情があっても髪、あごひげ、爪を切ってはならず、庭園を出ることも、使用人と話すことも禁じられた。こういった規則をたとえば7年間守って初めて、その期間の給料をもらえたらしい(食事などはすべて支給される)。
すごく憧れるんだけど・・・。


四万十駅の前で。アユを捕まえる少年の像。
トラロープがないほうがいいなあ、今度ない時にまた撮りに行こう、と思ったけど、たぶんこれは人が落ちちゃうから、夜間は常に設置しているものなんだろう。川を表現するために水を流しているところが一段深く掘ってあるので危険なのだ。素敵な像なんだけど、凝りすぎたか。
いやでも、このトラロープに「触れることのできない幼いころの神聖な思い出」みたいな意味を持たせることが・・・できないか。金網のフェンスとかならもっといい感じなのに。



休日、別に何もやることがないので部屋で週刊ゴラクのことを考えていた。土山しげるの「ばくめし!」は勢いだけで全然おもしろくない。なんか全然面白くないなあ、と思いながら記憶を反芻していたら刺身を食うシーンを思い出した。まだ醤油がなかった時代に刺身に付けてたタレを再現した主人公。客が「これはこれでおいしいですなあ」とか言ってるのに「無理するな!」と言って醤油を出してきた所は、今思えば面白かったのではないだろうか。



P.S.結婚式の写真は今週中に送るわ!

高知県のTSUTAYAは素晴らしい。四万十市で借りたDVDが高知市で返せる。こんなの他の県じゃないだろう。


チェーザレ」を1〜6まで買った。登場人物の名前や関係が難しいので、立ち読みだと理解できないから。面白かった。

今日、四万十市に帰ってきた。まだGWは続いているが、自分の家のドアに鍵を掛けてなかったのではないか?と無性に心配になったからだ。鍵だけならまだしも、荷物をいろいろ運び出す時にドアを開けたままで固定していたから、ひょっとするとドア全開の状態かもしれない。出発の時バタバタしていたので、確認できなかったのだ。
僕は鍵が掛かっていることを祈りながら、四万十市への道を急いだ。
昼間だった。トンネルに入ってライトをつけたのだが、トンネルを通過した後もライトを切るのを忘れていた。親切な人が合図をしてくれたので(一瞬ライトをつけてくれるアレ)気がついた。本来なら、親切なその人に感謝するべきなのだろうけど、なんとなく馬鹿にされたような気がしたので腹が立った。なので、意地になってライトを消さずにつけっぱなしにしてずっと走り続けた。すると、だいたい30台に1台ぐらいのペースで、ライト点いてますよ、の合図をしてくれる人がいた。僕はその度に「わかっとるわい!アハ、アハハ」と言ってとても楽しかったです。
さて、四万十市についた。なんだかドキドキしながら我が家へ近づくと、ドアは閉まっていた。車から降りて確認すると、鍵もちゃんと掛かっていた。なんだかつまんねえよ、と思った。この気持ちわかるだろうか。分かってくれる人がいてほしい。だけどもし、「この気持がわかる」という人が実際いたのならば、僕は自分の気持ちは隠しておいて、そいつを「得体の知れないやつ」として集団の中で扱いたい。この気持ちわかるだろうか。分かってくれる人がいてほしい。だけどもし、「この気持がわかる」という人が実際いたのならば、僕は自分の気持ちは隠しておいて、そいつを「得体の知れないやつ」として集団の中で扱いたい。この気持ちわかるだろうか。分かってくれる人がいてほしい。だけどもし、「この気持がわかる」という人が実際いたのならば、僕は自分の気持ちは隠しておいて、そいつを「得体の知れないやつ」として集団の中で扱いたい。この気持ちわかるだろうか。
ライトのくだりはフィクションだが、どうしてこんなフィクションを書くのか自分でもよくわからない。

この前、関係者というか契約の相手方から、カステラを3本も貰った。お世話になってるから、と言って。お世話になってるのはこっちのほうなのだが、嬉しかった。関係者から訪問を受けて、あいさつの手土産としてお菓子をもらうことはあるのだけど、そういう儀式ばったものとはかなりちがう性質のものだったので嬉しかったのだ。まあ、新たな課題を突き付けられもしたが。
報われる気がする。お菓子とかを貰わないと分からないのも子供っぽいが。自分も機会があったら誰かにやってみようと思う。



仕事をする上でのモチベーションの保ち方は、ポジティブなものとネガティブなものがある。
ポジティブなものは、人や社会の役に立ちたいとか、喜ばれたいとか、立派な職業人になりたいとか、そういうもの。
ネガティブなものは、怒られたくないとか、失敗したくないとか、人から軽んじられたくないとか、あいつみたいになりたくないとか。
自分もポジティブな方を持ってないわけではないのだけど、ネガティブなほうに偏りがちだし、今はとにかくネガティブだ。
人によるのだろうけど、自分としてはネガティブな方でモチベーションを上げていくほうが力が出る。これも結果が出れば悪いことではないけど、どうしても限界があって、一定のレベル以上には到達できない気がする。なんか疲れるし。
ポジティブにモチベーションを上げていく方法を、少しずつ身につけていかないといけない。

猫がするな ライオンのふりを

今日は課の飲み会だったのだけど、満腹になったので30分ぐらいで帰ってしまった。
班及び課の人たちを仲間と思えない。
課において、自分一人が突出して忙しい。大きな案件も多い。この状況を最初はいやだなあ、と思いつつも、チャンスだと思っていた。大変だけど、自分を成長させるチャンスだし、評価も上がるだろうと思っていた。
実際、かなり成長できたと思うし、良い評価ももらえた。だけど周りの人たちがさっさと帰ったり、ヒマそうにしている(人もいる)中で、自分だけが毎日毎日遅くまで、休日も仕事をつづける日が続いて、3月がそのMAXだったのだが、周りの人に対して憎しみというか、見下す気持ちが出てきた。
なにせ周りの人は全員、自分よりもずっとベテランで給料も高いのだ。それなのに負担の軽い仕事をしたり、クソッタレなミスをしたりする(人もいる)彼らを、見下すなと言うのが無理な話だ。彼らのようになりたくないのだ。見下す以外にどうすればいいのだろう。
僕の今の彼らに対する感情は、怒りとか蔑みという感情からさらに一歩進んで、そういう感情を抱くこと自体にムカつきを覚えている。比較の対象として存在することすら許したくないというか。たとえばライオンを最強の動物として、ライオンに「ライオンさんってチーターより強いですよね」と言ったら、ライオンは喜ぶと思う。すこしはにかみながら「まあね、あいつは速いだけだからね」とか言うに違いない。でもライオンに「ライオンさんって、カブトムシより強いですよね」と言えば、ライオンはきっと怒るだろう。比較の対象としてカブトムシを出すのは、ライオンに対する侮辱だ。
課の人たちに不満を持つということは、とりもなおさず彼らと自分を同じ土俵に上げているということであって、そのこと自体を「自分を貶めているのではないか?自分自身に対する侮辱なのではないのか?」と考える。異常だろうか。


ところで、年度が変わるときに、業務分担の見直しをする機会があって、人員が増えるということもあり、僕は仕事を減らしてもらえそうだったのだが、それに強硬に反対した。「仕事を減らしてもらいたい」という甘えを持つと、今の自分がポキッと折れてしまいそうな気がしたからだ。周りの人たちには「変わってる」と言われた。きさまにオレの心は永遠に分かるまいッ!まあ、最終的には少し減ってしまったが。
ただ、変わってるというのは本当なのだろう。僕は孤立した状態から人を見下すのが好きな人間で、楽になることの嬉しさより、そちらを選んだのかもしれない。実際、これは闇の魔法だ。術者の能力を正道に比べ飛躍的に高めるが、闇に取り込まれるリスクを伴う。性格的に自分にはよく合うが、今ちょっとヤバい状態なのかもしれない。(闇の魔法とかアホみたいなことを言ってるのはネギま!の影響。主人公ネギも今、闇の魔法で成長中。最近魔法が派手で見てて面白い。しかしこれはすごいハーレム漫画だ。読んでて恥ずかしくなるので、戦闘場面以外は読めない。この漫画にはまると、実生活に支障をきたすんじゃないだろうか)


ゆくゆくは、こういう状況でも自分を揺るぎなく持って、笑って周りと打ち解けていられるようになればいいのだが。今は反感を持つことでしか自分を保てない。覚悟が足りないのだろう。